職業選択の自由

職業を選択するまでの過程。

Initial commit (1) このブログについて・転職を決心するまで

このブログは、大手SI企業入社3年目の若手社員が、Web系ベンチャー企業への転職を目指して四苦八苦する様を綴ったものである。筆者(@strviola)は情報活用に関しては平均以上であると自負しているが、情報発信にはとんと疎く普段はTwitterで愚痴を垂れ流すくらいしかしない。ブログなど高校生の頃に書いていた事があるくらいでほぼ10年のブランクがある。それでも久々にブログなどという時代遅れのメディアを始めたのは、以下の理由からである。

  • 自己反省。転職活動をする中でその時の活動を振り返り記録することで、次に似たようなことがあった時に対処しやすくする。
  • 孤独感。後日触れる予定だが、転職活動とはとにかく孤独な戦いである。LINEやTwitterで愚痴ってもあんまり共感してくれないので、違った経路を試してみる。
  • 文章を作る練習。面接であれ書類であれ、転職活動では文章を作る必要が大いにある。その場になって急に対応するより、事前に練習しておく。
  • コンテンツとしての期待。こうして自分が文章を記録することで、将来似たような立場になった人の役に立つんじゃないかなーと思った。
  • 量的な不安の無さ。転職先が決まるまで内容に事欠くことはないだろう。現にこの記事プラス4本の構想が頭にある。

さらに、今回自分にとって初めての試みとして、Twitterと密に連携したブログを作っていく。Twitterにもブログにもお互いの紹介を載せるし、ブログを更新した時はTwitterにもそう通知する。このブログを「Twitterの延長」として扱うことで、浮かび上がってくるものがあると期待する。

さて、転職を語る前に現職を語らねばなるまい。現職は大手SI企業の官公庁システムのプロジェクトにいるシステムエンジニアである。名前は伏せるが(一部バレているがこのブログでは伏せる)日本人なら知らぬ人はいないレベルの有名企業の名前を冠するグループ企業である。この点、初対面の人に自己紹介する時も通りがいい。この会社に入って良かったと思える瞬間の一つである。

前もって言っておくが、自分の会社は労働環境だけ見ればかなりホワイトな部類である。残業はそこそこあるが多い時で月50時間程度(若手は)、閑散期には10時間を切ることもある。休日出勤もあるにはあるが代休取得のルールが徹底されており、休暇は比較的取りやすい。何より、残業代も休日出勤手当も全額出る。しかも医療保険や住宅補助などの福利厚生もかなり手厚い。おまけに失業のリスクもかなり低い。これらは先輩たちの文字通り血の滲むような努力の上に成り立った環境である。もはや公務員みたいなものである。

自分としても、配属当初は結構楽しんで仕事していた。そもそも配属先がアプリ担当であり、あんまり好きではないJavaがメインではあったもののプログラムを仕事にできることに喜びを感じていた(下手すると全く門外漢の回路系や、全くクリエイティビティのないテスター部隊になっていた可能性もある)。開発案件がいくつもあり、コーディングする機会が割と多かった。おまけにRedmine, Jenkins, Mavenなど官公庁システムとしてはあまり例を見ないモダンなアプリも取り入れていたし、開発手法はスクラムをベースに独自のカスタマイズを加えたものだった。こうしてみるとシステムはレガシーでも進め方はなかなか先進的である。ついでに言うと、国家を支えるインフラエンジニアとしての自負も少なからずあった。この辺が文句言いつつ2年間続いた要因だろう。

が、これらは新人を引き止めるためのある種の方便だったのかもしれない。その後の面接でも実際に引用したが、俺は2年目のある日上司に言われた言葉を忘れない。

「ねこばば君には、今後(担当のシステム名)の運用保守をやってもらうから。開発はあんまりできなくなるねえ

この言葉だけがきっかけではないが、俺はこの会社で働く以上未来はないと確信した。何より、プログラマの地位が低い。ビジネスに最も直結するはずのプログラムを書く人が、使い捨てのハケンさんとして扱われている。それよりも「プログラマを束ねて価値ある製品にするマネジメントが重要だ」という思想が支配的である。プログラマとマネージャ、確かにどちらも重要な仕事であるし、優劣はつけられない。しかし、俺は今までプログラマとして教育を受けてきた。そこからマネージャになることを求められるということは、大学6年間で学んだことを捨てろという宣告にも等しい。確かに、マネージャの道に進んだらそれはそれである程度成功できるんだろうけどさ。それ以上に「プログラマでいる限りこの会社では偉くなれない」と悟ったショックが大きかった。

そんな折、当時親しかった人に上記の話を打ち明けたところ、「あんた、会社で働くのに向いてない!」と豪快に言われた。この言葉は少なからず自分を後押しする結果につながっただろう。この言葉を言った人は、その後色々あって今は最も嫌いな人物の一人まで成り下がったが、この一点についてだけは感謝している。つまり、この時に「なにも嫌いな仕事を我慢する必要はないんだ」とやっと気づけたのである。

かくして、転職を見据えた具体的な行動が始まった。2015年10月のことである。ここから社外の交流を広げ、さらに会社を離れるべきという確信を強めていくのだが、それは次の記事に譲りたい。